エントリ
相互リンク
乙女宛の手紙
妻となったおりゅうの紹介とともに、霧島登山の模様が、自筆のイラスト入りで面白可笑しく綴られています。京都国立博物館収蔵の、1866年(慶応2年)12月4日付けの乙女宛の手紙は、おりゅうとの新婚旅行先である薩摩から送った手紙です。姉の乙女宛の手紙が最も多く、13通、乙女宛と推定されるものや、乙女との連名宛のものを含めると18通となります。
大河ドラマ「龍馬伝」のなかでも、乙女と龍馬のやりとりは見どころの一つになっています。乙女宛の手紙からはどれも少しふざけた感じを受け、龍馬伝の多くから得られる龍馬像とは違った印象を受けますが、反面、そのことからも乙女を信頼し慕っていたことがわかります。現在、坂本龍馬が書いたとされる手紙は、直筆以外に筆写されたものもあり、中には、信憑性を疑問視される手紙もありますが、全部で130余通が残されています。
坂本龍馬は、母親代わりだった乙女をとても慕っており、脱藩してからもいろいろな場所から手紙を送っていたようです。龍馬は、天狗の面をしたその逆鉾をとても気に入り、古来より恐れ多くて誰も触ろうとしなかったであろう逆鉾を、「二人で両側から天狗の鼻を押さえて、エイヤと引き抜くと、わずか四?五尺のもので、また元通りにおさめた」としています。そのなかでも特に有名な一節は、霧島山の高千穂峰山頂に突き刺さる「天の逆鉾」を引き抜いたというくだりです。
名言として残る龍馬の言葉の多くも、乙女宛の手紙の中の一節が取り上げられています。剣術や武術、弓術にも秀でていた男勝りな女性であったとされる乙女も、この手紙には驚いたことでしょうね。